ウェブリテラシー14)テキストでいいじゃん

 数年前に、「何にもできない、何でも屋ですね」と痛恨の一撃をくらったことを思い出す。こんなに前向き派な私なのに、潜在意識が受けた傷の深さは、怖い。打ち返すこともできず、撃沈した私は当時本当に額がデスクにタッチしたのだった。
 何でも屋は、ふつう何でもできる。できてしまう。ちょっとできるかも、を積み重ねて成長しつつあったときに、この風刺。いや風刺は「遠回しに社会や人物の欠陥や罪悪を批判すること」だから、風刺ではないな。でも風に刺されたら、痛い。繰り返すが、痛かったのだ。

 文字を残すなら、テキストファイル。こちらは間違いなく、「何でもできる、何でも屋」。テキストファイルは、文字の大きさや強調、カコミはもちろん、絵や色も入らない。シンプル。だから、どのパソコンでも対応ができる。不便なようだが、キーボードで入力できることだけで、重点を表現したり、論点を示すワザには、国語力が問われる。

 ・WindowsMaciphone、PCを選ばない
 ・10,20年前のファイルもテキストファイルなら読める。
 ・100年後もマイクロソフトワードで作った文書は読めるか?
 ・さいぼうずなどのグループウエアでも、見た目どおりの体裁で表示できる
 ・文字飾りがない分、ファイルサイズが軽い
 ・簡単に検索ができる
 ・加工がしやすい
 数え切れない利点。

 テキストファイルが、シンプルなだけに数多くのエディタと呼ばれるソフトがでている。私は、WINDOWSなら「秀丸」を15年くらい使っている。マクロとよばれるプログラムを追加すれば、「アウトラインモード」や「カレンダ表示」もできるし、罫線で絵も描ける。大勢の方々がマクロを無償で提供してくれるので、進化もまた楽しい。

 このエディタは、正確にいうと「何でもできそうな何でも屋」なのだ。色は使えない、文字そのものは大きくならない。書くことだけに、徹せられる。ありったけの基礎が、応用を呼ぶ。「何をしたいのか」。ゴールは狭く、あなただけのものならなおさらいい。

 秀逸なエディタを遣いながら、「何にもできない、何でも屋」のころを受け止めて。