一人の時間と「一人きりの時間」

一人でいる努力をしてみれば、それがいかにむずかしいかわかるはずだ。
(「愛するということ」エーリッヒ・フロム)


 インターネット休息日という「つながらない生活」が意味していることは何かな?、と思っていたら、フロムのいう「一人でいても大丈夫」が社会人としてのイニシエーションかも知れないと思いました。


 たとえば、私たちが、人とかかわる場面を
 この3層にわかれているものとします。



1.ソーシャルメディア
 インターネットで知らない人と連帯する場面。これからさらに普通になっていくでしょう。24時間のやりとり。「つながらない生活」でいうインターネット休息日は、適度な距離をとることで、「以前は行き方もわかっていた」場所にいけるようになるはずです。



2.仲間や家族
 あなただけのプラクティカルな「ものづくり」ができる場です。自分が実際に会える範囲の人たち。実践的なトライアルができるし、肌感覚のある悲喜交交なエピソードが生まれる感動的な場所。しかも、インターネットを使わない・使えない老若男女、誰とでも。



3.一人の時間と「一人きりの時間」
 一人の時間。しかし、ノマディックにワークをしていたら、それは離れたところでチームプレイをしているのと同じです。フロムはこういっています...「集中できるということは、一人きりでいられるということであり、一人でいられるようになることは、愛することができるようになるための一つの必須条件である」



 自分から、「本当の一人の時間」が作れるようになったら、
 再帰的にまわりも変わっていくかも知れません。

 そして、仲間や家族、ソーシャルメディアのつながりも、
 より彩り豊かになるのかも。


気づき)
 ・1分間だけでも、何も考えないって、難しいですよ
 ・試してみてくだされ「一人きりの時間」
 ・呼吸をして、呼吸を感じなくなって、何も考えない(考えることは、むしろ簡単)


愛するということ 新訳版

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