無為の事に処り、不言の教えを行なってみたい

聖人は、無為の事に処り、不言の教えを行なう。
老子


 20代のころに、UNESCOで日本の薬害を発表をしたことや患者会のニュースレターにエッセイを連載していたことを見つけ出した若いスタッフが、「自分と同じ年なのに、どうして、あんなにいろいろやっていたのですか?」と聞いてきました。


 
 で、思わず、自分史を語ってしまいそうになりました。



 しかし、ちょうどその日は「老子」を手にしていて、
 「無為の事に処り、不言の教えを行なう。」
 これってナンダロウな、、、
 という問いと愉快に格闘していたので、語ることをグッとがまんしました。




  ・どうしてこの若いスタッフは、私に質問をしてきたのか?
  ・スタッフ自身も何かをやりたいと思っているのか?
  ・私のやってきたことについての感想か?
  ・ただ、私と話しをしたかったキッカケか?


 という、問いが頭を駆け巡り、にっこりしながら
 「どうして、そんなこと聞くんだっっけ?」とスタッフにリターンしました。


 すると、
 「ええっと、自分と同じ年なのに、すげえな、っと思って」



 ふうん。



 私は、スタッフに、こう生きたらいい、という地図を渡すことはできない。それは、明日は何が起こるかわからないし、君と僕が感じる価値は違うから。スタッフ自身のなかにある「コンパス」を見つけて、自分で歩いて行ってほしいと思っている。人の生き方は、その人の時間の使い方に現れる。時間の使い方は習慣そのものだし、習慣を決めるのは性格だ。私とスタッフは、ちがう。



 無為の事に処り、不言の教えを行なう。



気づき)
 ・いい問いかけをありがとうね
 ・私は聖人ではないけれど、スタッフには示せる人でありたい
 ・簡単なことは、いくらでも教えるよ

老子 (講談社学術文庫)

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